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公社概要

仙台松島道路の歴史

三陸自動車道はここから始まった

仙台松島道路は、三陸縦貫自動車道(仙台市から宮古市までの全長220km)のうち、利府中ICから鳴瀬奥松島ICまでの全長18.3kmの区間です。

仙台松島道路は、仙台湾岸地区の整備進展に伴う主要幹線道路の交通渋滞の緩和、通行の円滑化及び交通安全の確保を目的として昭和54年に事業に着手、昭和57年10月に松島大郷インターチェンジ~松島北インターチェンジ間が開通しました。昭和62年には、仙台松島道路が、「仙台市と三陸沿岸地域を結び、地域間交流の促進と当該地域の活性化を目的とする『三陸縦貫自動車道』を構成する路線」として位置づけられました。この三陸縦貫自動車道決定の当時、自動車道を構成する路線で供用中の路線は「仙台松島道路」以外にはなく、「三陸縦貫自動車道は仙台松島道路から始まった」と言えるでしょう。

仙台松島道路は、昭和54年12月の工事(現在の松島大郷インターチェンジ~松島北インターチェンジ間)から、全線4車線化工事の完了した平成27年3月まで、道路の設置、延長、拡幅の工事を合計7回行い、現在に至っています。

命の道 ~ 仙台松島道路

平成23年3月11日午後2時46分ごろに発生した東北地方太平洋沖地震により、東松島市では震度6強を、また宮城郡利府町、宮城郡松島町では震度6弱を観測したことから、宮城県道路公社では、24時間体制で復旧対応にあたりました。

宮城県内の国道・地方道をはじめ、高速道路・有料道路も被害を受けましたが、仙台松島道路は、一部地震による被害があったものの道路にとって致命的な損傷はなく、津波による甚大な被害もありませんでした。そのため、地震発生の翌日には緊急工事を実施し、地震発生の翌々日の3月13日からは緊急車両の通行を開始しました。また、3月21日までに電気・通信ともに回復、復旧工事が概成した3月22日からは東北自動車道等と共に事業用車両の通行を開始し、地震発生から11日目の3月24日には、通常営業を開始することができました。

一般道路が地震や津波で損壊し十分な機能を果たさない中、人材、救援物資、資材、重機等を運ぶ「命の道」として、仙台松島道路を含む三陸自動車道は、その役割を果たしました。

4車線化工事とむすび丸春日パーキングエリア

東日本大震災前から,国土交通省が事業主体となり,三陸縦貫自動車道の延伸工事が行われていたことから,延伸に伴う交通量の増加に対応し,安全性の確保と利便性の向上を図るため,平成20年12月から,まず利府中インターチェンジ~松島北インターチェンジ間の4車線化工事を開始しました。また,その翌年,東北縦貫自動車道菅生パーキングエリアから三陸縦貫自動車道矢本パーキングエリア間の「休憩施設空白地帯」解消のため,利府中インターチェンジ~松島海岸インターチェンジ間に,パーキングエリアの建設工事を開始しました。

その後,東日本大震災の発生に伴い,さらなる交通量の増加に対応する必要が出てきたことから,松島北インターチェンジから鳴瀬奥松島インターチェンジ間の4車線化工事を開始し,仙台松島道路の全線で4車線化工事が始まりました。

平成24年8月には「むすび丸春日パーキングエリア」がオープンし,平成27年3月には残る工事が完了,全線4車線化工事が完了しました。この結果,東日本大震災以降,三陸自動車道で日々発生していた交通渋滞は解消され,交通事故も減少,規制速度もこれまでの時速60kmから時速80~100kmとなり,定時制・利便性が大幅に向上しました。

仙台松島道路のこれから

 昭和57年の開通以降、数度に渡る工事を経て、仙台松島道路は宮城県内沿岸部の地域産業基盤の強化、円滑な経済活動の確保、観光産業推進等広域的な経済活動を支えると同時に、東日本大震災などの災害時における緊急輸送や救急搬送を提供する「命の道」として大きな役割を果たすに至っており、宮城県内の産業、経済、生活にとって必要不可欠なインフラストラクチャーとなっています。宮城県道路公社では、お客様に対し、持続的・継続的にご利用いただける輸送環境を提供するため、適切な維持管理を実施し、事故の防止に努め、災害時にも業務を継続し、仙台松島道路の機能を発揮できるよう、取り組んでまいります。